こんにちは!ぽんどです。
今日も読んでいただいてありがとうございます。
昨日実家でご飯を食べました!
別に特別なことではないんだけど、家に帰ってきたらすごく幸せな気持ちになってる。
自分がどうしたい。
とか
自分がどうなりたい。
とか
これを達成しよう。
とか考えれば考えるほど、視点は内側に向いていって、当たり前のことも薄れて行っちゃう。最悪、忘れちゃうんだなと思います。
当たり前にある人のぬくもり。
これを実感して、もう一度心に留めておくために共有します!
改めてこの「つながり」を感じたり思い出してもらえたら嬉しいです。
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愛って自然と伝わる
逆に言うと、自然と伝わるものが愛なのかもしれないなと。
例えば、実家でご飯食べる。ということ自体は、何も特別なことじゃない。
何か特別なことをしたわけでもない。
でも、それは温かくて幸せな時間。
ものすごく幸せなことに、僕は僕のことを愛してくれる家族がいる。しかも身近に。改めてこの事実に気づくと、涙が出る。感謝しかない。
僕もそうなように、家族みんなが根底に家族への愛を持っていて、それがにじみ出て伝わっている。伝わりあっているから温かい。
誰かを想って行動すること、それはそれで素晴らしいこと。
でも家族でいる時って、何も考えてなかったりする。相手への想いも決して「想ってる」わけではなくて、「想いがそこにある」状態。無意識。
じゃあなんで、そんな状態なのか。
おそらく、家族の前が一番素でいられるからだと思う。
正確に言うと素がばれている(素は恥ずかしくて出せないよね)。そして素を知っている。いままでさんざん言いたいこと言ってきたし。言われてきた。喧嘩だってしたし、笑いあってきた。たくさんの同じ時間を共有してきた。
それが『信頼』になり、さらに無意識になった。
もちろん、今でもイラっとすることはたくさんあるけど、嫌いではない。
そんな当たり前に存在する想いが 愛 だと思う。
無意識だからこそ、自然と伝わる。愛ってすごいよね。
つながりが自分の限界を破る!
こう考えていくと、愛は人の繋がりがあるからこそ生まれるもの。いや、「人と」以外でも繋がりが愛を生むんだろう。
その繋がりがもたらすものを、もう少し具体的に落とし込んでみたいと思います。
そのひとつが「自分の限界を超える」こと!
誰かの為にしたことって、自分の為には決してできなかったことってないですか?
遠くまで買い物に行ったり
自分では使わないような金額を使ったり
知り合いじゃない人に声かけたり
毎日時間を使ったり
それぞれ些細なことだったとしても、自分ではやらないことができちゃうんですよね。
誰かを想い行動することって、自分のリミッターを外してくれる。
よく人の為と書いて”偽”だ!っていうけど、
そんなことない。確かに”自分のリミッターを”と”自分”が主語になっているけど、決してそういいたいわけではなく、
「自分でやらないことをやれてしまう!」
それくらい人の繋がりや、人を想う気持ちってすごいって言いたい!
ただ、こうやって誰かの為に想いを巡らしていると、たまにふと自分のことは何もしていない!と感じることもあります。
例えば、自分の趣味に使う時間は少なくなってて、お金もないし。やるべきこともできてない。
自分が自分の人生の主役である以上、どうしても”自分”に目が向くときもあるんですよね。自分を忘れてしまった!と。
でも、そんなことない。
自分のことを忘れるくらい夢中になって、誰かに喜んでもらいたいと思う。それが自分の本当にやりたいことだと思うんです。
自分の夢中になることって、自分に目が向きすぎて、見つけることが難しかったりするけど、自分の夢って案外そとにあったりする。そうやって自分を超えさせてくれることもある。
そのつながりを大切と思うことができるか
人のつながりは当たり前にそこら中にある。
でもそれを大切だと思えるか。それによって受けるものが180°違ってきたりする。
十人十色
個人的にこの言葉が好きなんです。みんな違うから面白いんですよね。だからこそ、自分が考えてもみなかったことや、考え方を知ることができる。
自分がどんどん広がっていくような気がします。
この世に1人しかいなかったら、おそらくもっともっと、ちっさい人間だったと思うんです。いろんな人に今の自分を創ってもらった。
ただ、最初に書いたことですが、考え方によって180°変わってしまうことがある。
その人を尊重できなかったら、違う意見って受け入れられなかったりしますよね。ひとのつながりが大切で、十人十色って分かっていても、受け入れるのは簡単じゃない。
反対の意見だってあるし。極論、その人のことが嫌いかもしれない。
嫌いじゃなくても、好きでない人の反対意見は受け入れられなかったりする。
だからこそ、この”あたりまえ”であるつながりを大切だと思えるか。それが本当に重要だと思います。
そう考えると、愛すことができるか。これが重要ですね。
僕は残念ながら無条件で人を愛すことは、今のところできません。
だからこそ、自分が素をだせるか。相手の素をしれるか。そこが大事だと思っています。この「素」を簡単に出せるし知ることができたら、それはそれで楽なんですけど、そんなわけない。時間も手間(衝突)もかかる。
でもさ、それだから人間関係は面白いんだよね。
簡単じゃない。完璧な人間もいない。それを知ろうとする。伝えようとする。
難しい。でもだからこそおもろい。
人のつながりが自分を嫌にする
以前書きましたが、他の人がいるから自分が嫌になるんですよね。
これまで書いてきたように、つながりの可能性は無限大です。
でも、一方でそのつながりがあるから自分が嫌になってしまうのも事実。
いっそのこと、その嫌になることも成長の一歩と思えれば、いいんだけどねー。
うまく行ったり来たりしながら、付き合っていきたいなと思います。
まとめ
改めて考えても、つながりの可能性は無限!
でも一方で、いつの間にかその大切さ・あったかさを忘れてしまう。
あたりまえにそこにあるから
自分に夢中になってしまうから
相手のことを愛せていないから
その理由はたくさん、そしていろんなところに転がってます。
ほんとうにあたりまえのこと。その本質的な重要性をいつでも心に留めておきたいなと思います。
今日も読んでいただいてありがとうございます。
少しでもなにかのきっかけになったら幸せです!!!
ではでは
ぽんど