こんにちは!ぽんどです。
今日も読んでいただいてありがとうございます。
突然ですが!
感情はありますか!?
そりゃあ、もちろんあると思うんだけど、よーく考えてみてください!
感情がなくなってる時ありませんか?
「感情を出さず冷静に」
「感情を出しちゃいけない」
「いろいろな圧力が...」
そんな風に自分の感情を出さず、「冷静に空気を読みながら行動する」だったり「感情を出すのが怖い」なんて時だってあるけど、
そうやって自分の感情をなくしてまで別の何かを達成する。
本当にそれが正しいのかななんて思うんです。
感情が人間を人間とさせている。そう考えると感情がその人そのもの。
もちろん、感情を爆発させた時みたいにムチャクチャになる時もある。
それでも感情をなくすより良くない?
そんな想いに駆られて、感情のコミュニケーションを紐解いてみました!
その感情が自分だと思う!
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感情=自分
感情って気付いたら心の中に湧いている。
つまり、それが自然。
ナチュラルな自分だと思うんです。
楽しい。面白い。大切。幸せ。やりたい。嫌だ。悲しい。辛い。気持ちわるい。
全部、感じた瞬間に出てくる。自分でこの感情を出したいと思っても、本当の自分の感情としては出せない。
だからこそ、本当の自分。
この感情は、僕の行動や考え方にもおよび、その感情に自分の全てが影響を受ける。
楽しいと思ったら、あっという間に集中して行動できる。
嫌だと思ったら、あっという間にその行動は縛られる。
もちろん感情はひとつじゃなくて、複数出ている時もよくある。
「やりたくないけどやらないといけない」
「やりたくない」と思っているのも自分。「やらないといけない」と思ってるのも自分。
そして最終的には「やる」のが自分。
どれが本当の自分かって言われたら、全てが自分。
だから人間って複雑で難しい。そして面白い。
感情がなくなってないか
もし「やりたくない」と思っていて。他の誰かが「やらないとかありえない」と思っていたとする。
この場合、「やる」は嘘。
「やりたくない」という感情。そして自分はなくなってる。
逆に、他の人「やらないとかありえない」→ 自分「じゃあやろうかな」→ 自分「やる」
なら感情はなくなっていないですよね。
すごく些細なことだけど、ここには雲泥の差がある。
いつの間にか世の中に漂う”空気”と”やらなければならないこと”
それにつられて出てくる”日本人の良さ”→「諦めになってない?」
そんなことに巻かれて、自分がなくなってないか。
感情は自分。それが素。なくしちゃいけない。強く思います。
ただ出せばいいという訳ではない
じゃあ、生まれた感情を全て出せばいいのか。
そう思います!
でも、ただ出せばいいという訳ではない。
感情は伝われば、ものすごい共感力を生む。
一方伝わらなかったら、それは逆にもっと差を生む。
じゃあ、感情出すのやめとく?
でもそうしたら「心」へのストレスが溜まりませんか?
逆に相手はどうだろう。感情を察さないといけないくなってしまう。
そりゃ察せればいいけど。それって大変だし、勘違いを生むこともあるし。
いいことはどこにあるんだろう。
”衝突”を避けれること?
いや、出すことを前提に、うまく使えばいいんじゃないでしょうか。
そして、受ける側も感情を出されるものだと思い、受け取る。
たったそれだけ。たったそれだけでいいんだと思う。
それだけでハッピーじゃん。
感情をうまく使うには
感情をうまく使うために僕は、理屈と共存する必要があると思っています。
ただそのまま感情を出したら、それはわがまま。
その感情をなくす必要は決してない。でも伝わらないと意味がない。一方的な暴力と同じですよね。
僕は感情を文と文の間や、理屈に添えて出すことを心がけてる。
「嫌だ」と思ったら、「〇〇という理由です」に合わせて感情を「嫌なんです」の言葉で出したり、言い方に「嫌な」感じを出す。
とは言ったものの「こうしたら感情を出せる」という魔法のような方法はない。
「出す」という言葉を使ってますが、感情は見えない。だから最終的には結局感じてもらわないといけない。だから伝える努力が必要ですね。
また、大事なのは「出す」という決意。
「出さない」のは結果的に、自分も周りも不幸にしかねないです。
「出したもの」を察してもらう
これだけ、「感情を出す」と言っても、最終的には察してもらわないといけない。
だから「出す」工夫と努力をする。
さらに、察する相手にも感情はある。
だからこそ、その感情をリンクさせる必要がある。
相手の感情を察し、そして伝えて察してもらう。
「積極的に察する」
なんだか、正直すごくめんどくさい。
でも一方で、「積極的に察する」ことは当たり前のことだとも思う。
つまり、それでもめんどくさいというのは、まだまだ自分にできてない部分だからということなんでしょう。
すごく大変なことではあるけれど、自分をなくすよりは何倍もいいよね。
感情を出すって大変な作業なんだなと改めて思いました。
感情がなかったら
めちゃくちゃ効率的なんでしょうね。
サクサクすすむ。最適解に向かってすすむ。
寄り道の必要もない。
僕は真っ向から中指をたてたい。
それじゃつまらない。効率的なことはロボットにしてもらい、
僕らは人間として、与えられた感情で人間らしく生きたいと思います!
まとめ
なんだか、何度も書いているうちにいろんな考えにハマってしまい、
なかなか前に進みませんでした。
まさに、ただの「感情を出す」という行為が、これだけ難しくなってしまっているという、ことなのかもしれませんね。
いつの間にか「出さない」ことが自然になって、「出すこと」が難しくなってる。
大人になるにつれて「出さない」のが正義のような気になっていて、その裏でモヤモヤが心にたまってる。
以前書いた、このブログに近いなと思いますが、
どうしても、いろんな理由で自分を出せないことってあります。
でも本当にそれでいいのだろうか。なんで我慢しながら生きているんだろう。って時々思うんです。
もちろん、相手のことをめちゃくちゃ考えて、その上でしっかりと自分は出していくべきだと思っています。溜めるストレスって馬鹿にならない。
いつの間にか自分が自分でなくなってしまうことも多々。
やっぱり簡単なことじゃないけど、それでもしっかりと自分らしく生きてきたい。
改めてそう思います。
今日も読んでいただいてありがとうございます!
誰かの背中をちょっとでも押せたらハッピーです。
ではでは
ぽんど